八咫烏(やたがらす)

「生きがいについて」6章中半

6章は内容が濃いので、小見出しごとに進めた。

進捗
「疎外と孤独」、「無意味感と絶望」、「否定意識」、「肉体との関係」(P.117~P.125)



以下のようなさまざまな感想が出ました。(色文字は本文から抜粋)


皆のよろこびや悲しみが自分には少しもピンと来なくなってしまった。もはや何一つ心に訴えるものがなくなってしまった。このような世界の「遠のき」と、一般社会及び家庭からの疎外感‥‥‥
まさにその通りで自分の体の四方にシャッターが下りてただひとり隔絶されたようだった。
・生きがい喪失の辛さに加えて、この深刻な孤独感ほど耐え難いものはない。
・ニュースなどを見聞きするにつけ、成功談や成功者より、弱い人、悲しんでいる人に気持ちが向かう。
生きがいを喪ったひとの心の世界では、未来は行きづまりとなり、時間は歩みを停止している。
時間が流れない。一日が長い。
それに何よりももう僕にとって未来というものが考えられないということ、完き暗黒の世界をしかそこに見ることが出来ないということが、遮二無二僕を絶望に追いつめます。
喪った子に重ねて読んで、ドキッとしてしまう。
一原爆症患者の言葉‥‥‥この患者のことばには個人を超えた人類的な響きがある。
「人類的」というのは「みんなの」とか「普遍的な」ということ。個人の苦しみを超えて皆の苦しみと認識されたとき、そこに広がりを見ることができ、人とのつながりを感じられるのかもしれない。
・らいの人たちや自死者に対しての偏見の根は人類一般の心にあるものであり、自身にもある。偏見は地域やその人の生育環境による違いもある。また、自分には偏見はないと思っていたが、身近に偏見を持っている人がいることで改めてそのことに気付かされた。

などなどたくさんお話いただきました。
ひとりでは気付き得ないご意見多々あって貴重な時間でした。


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