「生きがいについて」7章
進捗
7章 新しい生きがいを求めて(P.141~P.178)
(色文字は本文から抜粋)
☆「悲しみとの融和」(P.151~153)
- パールバックの『母よ嘆くなかれ』より、彼女が知的障がいの子供を授かってから、施設に預けるに至った経緯の紹介
- 子供がいるからこその苦しみではないか。
- 経済的な理由で施設に入れない子どももたくさいた時代。
- パールバックの辛い心境には共感できるし、
「悲しみにも一つの錬金術に似たものがあるからであります。悲しみも英知に変わることがあり、それはかりに快楽をもたらすことはないにしても、幸福をもたらすことができるからであります。」
というように、障がい者も親も幸せの道があるのでは。 - もう、あきらめて施設に入れる道を考えた方がよい、という医者の言うことを受け入れられたのは、パールバックの性格にもよる。
- 「自分を中心に考えない」にとても大きな意味がある。自分の執着を別の形で生かせないか?
- 今は、自分の悲しみより、他の子どもに目が向いている。
だれもが生き生きと生きられる世界がいい。 - 体の障がいは見た目も明らかだが、心の障がいは見えないから本人も周囲も大変な苦労をする。そういう障がいの家族と長いお付き合いの中で、一日一日で流れにまかせて、家族を主体にして寄り添っていく、ようにしている。
自分が自分をどこまで肯定できるかが鍵。
☆P.164「自己の生命に対する防衛的配慮が一切必要でなくなったときこそひとはもっとも自由になる。もはやあらゆる虚飾は不要となり、現生で生きて行くための功利的な配慮もいらなくなる。自分のほんとうにしたいこと、ほんとうにしなければならないと思うことだけすればいい。そのときにこそひとはなんの気がねもなく、その「生きた挙動」へむかう。そのなかからはおどろくほど純粋なよろこびが湧きあがりうる。」
家族のことに結びつけて読んだ。
☆P.145「第一の明日への好奇心は、前にのべた時間の問題につながる。絶望しているひとには、未来が存在しないのであったから、たとえ一日でも待つという心を持つことができれば、それはすでに前むきの姿勢ということができる。」
家族のことに置きかえて読んだ。1分でも1秒でも待つことが出来れば、また違ったのかなと思った。
☆P.147 キャサリン・マンスフィールドの日記
「苦しみも克服できるものだという私の信条の記録を残さないで私は死にたくない。…私は自分の苦悶を何ものかに投込まねばならぬ。それを変化せしめなければならぬ。「悲しみも喜びに変えられるべし。」」
ここは嫌だ、
りっぱで素晴らしい、
という両意見ありました。
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